イスラム教の歴史

イスラム教の歴史

 

イスラム教は現在16億人の信徒がいるとされる宗教で、これはキリスト教に次ぐ二番目の数字です。つまり現代では地球上の人類の5人ないし4人にひとりはイスラム教徒、という時代でもあります。

 

 

ムハンマドとアッラー
イスラム教の始まりは西暦610年、ムハンマドがメッカ郊外で天使ジブリールより唯一神アッラーの啓示を受けたことに端を発します。

 

その後、アラビア半島でイスラム教の布教を始めた預言者ムハンマドは当初人々にその内容を受け入れては貰えず批判の的となっていました。

 

ムハンマドの後ろ盾だった有力者の叔父が他界すると、民衆の批判は迫害へと変わり、預言者ムハンマドはメッカを追われます。

 

 

メッカ奪還
メッカを離れたことによってメッカの方向に向かって礼拝を捧げる、など教義そのものにも変化が生まれました。日のあるうちは断食を行う月間であるラマダーン月もこの頃の出来事がきっかけで成立した週間です。

 

メッカを追われたムハンマドはメディナという土地へ移ってウンナという共同体を作って暮らしていたが、メッカとの対立やメディナにもともと住んでいたユダヤ人との戦いを繰り広げるも、アラブ人の一団を味方につけたムハンマドは総勢一万人の軍団を組織し、紆余曲折の末メッカの奪取に成功するのでした。

 

一万人の軍を組織したのは当時のアラビア半島では数百年ぶりの出来事、一大事だったため、その指導者たるムハンマドの名とともにイスラム教はアラビア半島に広く伝播することになります。

 

 

スンニ派とシーア派の分裂
メッカ奪取の翌々年、預言者ムハンマドがこの世を去ると、民衆は後任の指導者にアブー・バクルを選びましたがこれに反対したアラビア半島の諸侯との紛争、リッダの戦いを繰り広げます。

 

リッダの戦いが終結すると、イスラム教の維持自体が難しくなります。軍を維持したいのですが、運営するメディナに相応の資金がなかったためです。そのため、軍を維持するための資金を略奪するために征服を目論みてシリアやエジプトに侵攻します。

 

当時東ローマ軍も、それと戦っていたササン朝ペルシャも軍は疲弊していたので、介入したイスラムの一団があっさりと漁夫の利を取ってシリア・エジプトの肥沃な土地を手に入れます。

 

しかし、このような外の敵との戦いが起こる中で内部でも戦いが起こっていました。指導的立場の暗殺が繰り返された頃、内部では世襲制で指導的立場であるカリフの座が受け継がれていることに反発した勢力がカリフ側を相手取って対立の姿勢を見せます。

 

この指導的立場のカリフを誰にするか、という問題が組織を二つに分けます。これが現代にもつながるスンニ派とシーア派の分裂です。

 

 

スンニ派とシーア派の違い
スンニ派はムハンマドが遺した慣習を重視する一派を指します。スンニとは慣習という意味です。一方シーア派は、ムハンマドに連なる血筋の者、アリーだけが指導的立場であるカリフに相応しいとする一派を指します。シーアはシーア・アリー、アリー党の人々であるところから取っています。

 

この二つは同じ教義に従いながらも礼拝の方法をはじめとした様々な差異があり、現代でもスンニ派とシーア派、それぞれの宗派に属する人がいます。

 

スンニ派とシーア派、それぞれの信徒、ムスリムがが共通してコーランを教典として認めています。ムハンマドが語った内容がムハンマド、あるいはその後の世代によってまとめられることによって編纂されたものであり、ムハンマド生前の生活慣習に基づいた内容が記載されています。

 

生活習慣に対する規律、というのがこのコーランの在り方ですが、ムスリムにとっての努力義務であるところのジハード、あるいは偶像崇拝の禁止がこの書物に明記されています。

 

最高位に立つ教典はコーランに相違ありませんが、ムハンマド以来の慣習を記載した書物が存在し、これをスンニ派が重視するスンニと言います。

 

一応、コーラン成立以前からキリスト教の聖書が人間規律を定める書物として存在していることをイスラム教も認識していますが、ヨーロッパの国々による改竄や編集を経た現在の聖書に価値は無いとする独自の教義が発達しているため現代でも宗教知識人を除きムスリムが聖書を読むことはほとんどありません。

 

 

ジハードと偶像崇拝
ジハードとは前述のとおりムスリムに課された努力目標ですが、時に異教徒との戦いや防衛戦のことを指す場合があります。

 

ジハードを含む行を積むことによって天国に行くことができると説かれており死後の極楽を求め聖戦、とも訳されるジハードを遂げるのです。男が極楽に行くと、そこには72人の処女(フーリー)がいて、相手をしてくれると伝えられます。

 

偶像崇拝の禁止ですが、これは神の唯一性を重視するために行っていることであり、複製された紙の姿に何の価値も見出さないことからこのような戒律が生まれたとされ、キリスト教や仏教が礼拝の対象としてキリスト像や仏像を用意しているのに対し、メッカに向かって祈りを捧げるのみで像や聖画の類を用いないというのは独特な慣習であると言えるでしょう。

 

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