地形

スペインはヨーロッパ大陸の南西部、イベリア半島に位置する国です。また、アフリカのモロッコの沖合にあるカナリア諸島、ジブラルタル海峡を挟んだアフリカ側にある2つの飛び地(セウタ、メリリャ)、地中海の島々もスペインの領土となります。

山脈

スペインにある山脈としてピレネー山脈ネバダ山脈が有名です。フランスとの国境にあるピレネー山脈、南部の地中海に面したネバダ山脈はどちらもアルプス・ヒマラヤ造山帯に属す山脈であるため、急峻な山脈を形成しています。

ピレネー山脈はイベリア半島の付け根にあり、他のヨーロッパの地域とスペインポルトガルを分断しています。新期造山帯なのでピレネー山脈は標高が高い山脈です。動物や人の往来を困難にしてきました。

アイベックス(スペインヤギ)を代表に、スペインには他のヨーロッパには生息しない固有の動物が数多く生息しています。ピレネー山脈や地中海に隔離されているため独自に進化した動物が多くいます。

 

 メセタ

スペインにはメセタと呼ばれる古い岩盤が作る広大な高原が広がっています。国土の50%以上をメセタが占め、スペインのほとんどの地域は高原地帯です。メセタの平均高度は600m~700mです。日本では長野市とほぼ同じ標高です。

気候

スペイン全土はケッペンの気候区分という基準で地中海性気候(Cs気候)に分類されています。地中海性気候の特徴として月々の平均気温は日本と同じ程度、降水量は夏に乾燥し冬に湿潤となります。

大陸性と海洋性

同じ地中海性気候でも地域によって差が生まれます。スペイン内陸部のマドリードは海から遠いため大陸性の気候が強く表れ、地中海沿岸のバルセロナは海洋性の気候が強く表れます。

大陸性の気候の特徴は一日の寒暖の差が大きく、年間の寒暖の差も大きくなります。内陸部のマドリードは夏は砂漠のように熱く冬は凍りつくほど寒くなります。

海洋性の気候の特徴は一日の寒暖の差が小さく、年間の寒暖の差も小さくなります。地中管沿岸のバルセロナは夏でも日照りが続くような高温になる事はめったにありません。

陸地より海の方が保温効果が大きいため、海に近い方が気温変化が少ない気候になります。また、海に近ければ湿気が多いため降水量が多くなります。内陸では湿気が届きにくいため乾燥する傾向になります。

宗教

現在のスペインはキリスト教の国です。中でもカトリック教徒が圧倒的に多数派を占めています。カトリックはバチカンのローマ法王を中心とする宗派です。

カトリック派の教会は豪華な作りをしたものが多く、反対にプロテスタント派の教会は質素な作りであることが多いです。

バルセロナにあるサグラダ・ファミリアはカトリックの教会で豪華な作りをした教会です。建築家であるガウディ-が設計し、今なお工事が続いています。このサグラダ・ファミリアはカトリック教徒からの寄付によって全額費用が賄われています。

また、スペイン南部のグラナダにはアルハンブラ宮殿があります。この宮殿はイスラム様式の建築がなされています。イスラム建築の最高傑作とも謳われる宮殿がスペインにあります。

なぜ、現在キリスト教が多数派のスペインに何故イスラム建築の最高傑作があるのでしょう。それは、スペインがかつてイスラム教国家だったためです。

スペインはヨーロッパのキリスト教と、アフリカのイスラム教の交差点に位置していました。

年代 多数派の宗教
紀元前205年~ キリスト教(ローマ帝国の一部)
711年~ イスラム教(ウマイヤ朝カリフ王国の一部)
13世紀末 北部はキリスト教、南部はイスラム教
1492年~ キリスト教

このように、元々はキリスト教徒が多数派の国でしたが、占領されてイスラム教国家になりました。しかし、もう一度、国土を回復させようという運動(レコンキスタ)がイベリア半島の北部から起こり、キリスト教勢力が復活しました。

植民地支配

1492年、スペインがキリスト教カトリックの国として統一された年にコロンブスが大西洋を縦断してアメリカ大陸に達しました。コロンブスは中南米と東南アジアを植民地として強大なスペイン帝国になりました。

現在でも中南米や南米諸国ではスペイン語が話され、カトリックが多数派の国が多く存在しています。これはスペインが植民地支配をしていたことに由来します。

当時スペイン語が分からない現地住民に、スペイン語を教えてキリスト教も教えることは大変困難でした。しかし、圧倒的に優れた武力を持つスペインは次々と新大陸を制圧しました。メキシコのアステカ王国やアンデスのインカ帝国も滅ぼされました。

さらに、現地住民に厳しい労働をさせ、銀をはじめとする富がスペインに送られました。これによって豊かな時代が約200年続きました。

しかし、現在のスペイン領は本土と地中海の島、カナリア諸島、アフリカのセウタとメリリャとスペイン帝国の時代と比べると小さくなりました。

栄華を誇ったスペイン帝国でしたが、王位継承者が途絶え、次の王を決める戦争(スペイン継承戦争)をしたり、ナポレオン率いるフランス帝国がせめて来たり(ナポレオン戦争)で、スペインの勢力が弱まっていきました。

それに従って植民地も徐々に失い、1898年の米西戦争でアメリカに負け、キューバ、プエルトリコ、スペインをアメリカに割譲し、ほとんどすべての植民地を失いました

民族・言語

スペインではスペイン人、カタルーニャ人、ガリシア人、バスク人などがいます。スペイン人が多数派、残りが少数派の民族です。

民族の違いは日本の場合、アイヌ民族を考えてください。同じ国に暮らしていても言語や文化が少し異なる民族がいます。

言語

スペインの公用語はスペイン語ですが、カタルーニャ地方ではカタルーニャ語、ガリシア地方ではガリシア語、バスク地方ではバスク語が地方公用語として使われています。

スペイン語、カタルーニャ語、ガリシア語はラテン語から派生した言語です。しかし、バスク語は他のヨーロッパの言語とは全く違うタイプの言語です。

バスク語の起源は不明ですがケルト人やローマ人が半島を戦略する前からすでに話されていたとされます。つまり紀元前から続く言葉です。

バスク

バスク語の使用は20世紀初頭に農村部を除いて衰えてしまいました。しかし、スペインとは一味違う文化を持つバスク民族はスペインから独立したいという考えでバスク語が回復し、バスク州の公用語になりました。

さらに、バスク独立運動が起こりました。独立のためにテロ行為が行われたのです。現在ではテロ組織ETAは無機停戦を宣言しています。

産業

スペイン、ポルトガル、南イタリア、ギリシャなどの南ヨーロッパの地域は18世紀の産業革命時代に工業化に出遅れました。

産業革命は石炭や鉄鉱石で蒸気機関を動かしたり機械を作ったりしましたが、原料がヨーロッパの内陸部にあり運河に沿って工業都市ができました。

ピレネー山脈でヨーロッパの他の地域と隔離されたスペインは工業化の流れに乗ることができなかったのです。現在もその影響から工業大国と呼べるほどではありません。その証拠に、スペインの輸出品目として食料品が目立ちます。これは地中海性気候を利用してオリーブやブドウを栽培し、オリーブオイルやワインとして輸出しています。

観光

歴史あるスペインは観光によって大きな収益を確保しています。現在も建設中のサグラダ・ファミリア、キリスト教三大聖地の一つサンティアゴ・デ・コンポステーラ、イスラム建築最高傑作のアルハンブラ宮殿など多くの世界遺産があります。

フラメンコ・闘牛

スペイン南部のアンダルシア地方に伝わるフラメンコ、スペインの国技である闘牛が有名です。キリスト教とイスラム教の交差点に当たるスペインは独自の文化が発展してきました。

 シエスタ

スペインではシエスタと呼ばれる昼休みがあります。午後2時あたりからシエスタは始まり、学校や会社から帰宅します。そして酒を飲みながらゆっくりと昼食をとり昼寝もします。シエスタ中はスーパーなどお店は一時閉店します。

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